moontopazのブログ

非日常の感動とワクワクは好奇心とほんの少しの勇気から始まる。好きな事に邁進してなりたい自分になろう!

幸せの追求 今の私が誕生した日

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皆様は神様に命を救われた経験はありますか?

 

私はあります。

 

この記事を読まれて「何勝手な事言ってるの?勝手に都合の良い解釈して」と

不快に思われる方もいるかと思いますが、

正直に自分の想いをこの記事でお伝えしよう思います。

 

今から8年ほど前、

私はこれまでの人生で一番死にたいと思ったほど苦しい経験をしました。

 

その原因の詳しい詳細までは説明できなく、皆さまのご想像にお任せ致します。

 

その時は周りがみんな敵に思え、(まぁ実際一部はそうだったのですが)

仕事をしていても集中は出来ず、

子供達の前では普通にしていなければならず、

家に帰るのが怖くて怖くて仕事が終わるとまっすぐ帰れず、

この恐怖に怯えた心を落ち着かせようと

海沿いの道を車で走らせてから帰っていました。

 

今こうして書いていてもあの時の恐怖が蘇ってきます。

一生涯忘れられない苦しみの日々でした。

 

そんなある出勤の日、家に忘れ物をし取りに行かなければならなく

会社のお昼休み中に取りに帰宅しました。

 

車を玄関の脇に止めエンジンはかけたままで

シフトレバーをPのパーキングにしなければならない所を慌てていた為に

Dのドライブのままで車から降りてしまいました。

 

本当に私の愚かな行動だったのですが、その当時は恐怖に怯えていた毎日、

しかも場所がその家だったので、冷静な行動がとれなかったと思います。

 

車から降りた私は自分の車がゆっくり前進していく姿を目にし、驚き、

なんとか止めなきゃと思い、

(普通であればすぐに運転席に飛び乗りブレーキを踏めば良いのですが)

気が動転して車を止めなきゃと、とっさに自分の車の前に行ってしまったのです。

 

自分の車の前に屋根の修理をしていたトラックが止めてありました。

 

そのトラックにぶつかる!と思ってしまい、自分の車に前に行ってしまったので

そのトラックの後部と自分の車に挟まれる状態になりました。

 

私の車は無人で前進しています。

 

挟まれた私の身体は車のパワーで押しつぶされていきました。

 

死ぬ・・・・・もうだめだと思いました。

 

同時に「キャー!」と叫んでいました。

 

すると、周りに人なんか誰もいなかったはずなのに、

どこからともなく若い男性が走ってきて

私の車をドアを開け飛び乗りブレーキを踏んでくれたのです。

 

私はその方に助けられたのですが、

家の周りに人影もなかったので、

その瞬間、この人はどこから来た?と訳が分かりませんでした。

 

後で分かりましたが、その命の恩人の方は屋根の修理業者の方だったようです。

 

お昼で日陰で休憩いるところに異変を感じて走って来てくださったようです。

 

助けて頂いたのですが、まだ興奮状態だった私は会社に戻らないといけなかった事もあり、

その方のお名前ご住所も聞けなかった事が今でも悔やまれます。

 

話しがだいぶ長くなりました。

 

その後、私が思った事は、

あんなもう死にたいほどの精神不安定の状態の時に本当に死ぬはずだったのに、

生きているのが本当につらかった時に

私は生きている。

 

これは神様が

「あなたはまだ生きなさい、生きてあなたはまだやらなければならない事がある」

というメッセージにしか思えませんでした。

 

都合の良い解釈と思われると思いますが、

 

神様は全世界の人々を認識していません。

 

ごく僅かな人しか気づかれていません。

 

例えば生まれつき身体障碍者の方、

もしくは生まれた子供が何らかの障害を持って生まれた親。など。

 

その方は強く、たくましく生きる事ができると神様が選んだ人だと思っています。

 

私も何かのその一人で、神様は確実に私の存在を認識していると感じた日でした。

 

その時から神様が私に味方になってくれたという解釈ではなく、

なんとなく、神様が

「今は命を落とす時ではない。もっと後だ」と言ったように感じ取れました。

 

どうして私がこんなに幸せについて追及する人のになってしまったのかといいますと、

この地獄の日々があったからです。

 

あの命を救われた日から、強く思った事は、

「この世で誰よりも幸せを感じられる、そんな人になりたい」と。

 

幸せの追求は今もまだ勉強中です。

 

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