違いを認め合う心〜前編〜
この二本の木は寄り添りそいながら生きています。
私の娘が中学生の時に書いた「人権」についての作文が
全国中学生人権作文コンテンストの県大会で優秀賞を取った作品をご紹介させて下さい。
みんなで築こう人権の世紀
《 考えよう相手の気持ち 未来へつなげよう違いを認め合う心 》
作品名:「魔法の言葉」
私達にも使える「魔法」がある事を知っているだろうか。
それは、杖を持っていなくても難しい呪文なんてしらなくても簡単に誰にでもかける事が出来るのだ。
私はその魔法を何度か使ってしまった事がある。
私が小学校6年生の時、私のクラスにはいつも一人でいる女の子がいた。
その子と私は直接話をすることも、何かで一緒に行動するという事はほとんどなかった。
だから、その子は私にとって友達ではなく、ただのクラスメイトという存在だった。
ある日、いつも一人でいる女の子が、何人かの女の子に囲まれていた。
私は特に気にする事もなく、次の授業の準備をしていたその時だった。
ガタンと音がして
「何でいっつも一人なの?」
と言うその子を責めるような声が私の耳に飛び込んだ。
私は内心とてもドキドキしていたが、見て見ぬふりをした。
「悪い奴」
誰が?
あの子をいじめてる人達?
ちがう。
見て見ぬふりをしている私?
分からない。
そんな事を自問自答しながら、私はその子も表情をうかがった。
泣いているのかもしれない、泣いているのなら私が声を掛けてあげよう。
そう思ったものの、その子は全く表情を変えずにいた。
「何だ、大丈夫じゃん。」
私は一言つぶやくとまた、授業の準備を始めた。
そんな事があってから、私は以前よりもその子に関心を持たなくなった。
きっと一人でいるのが好きなんだ、と勝手に自分で決めつけてしまっていたからだと、今になって思う。
その考えが居一転するのは、私が友達をおしゃべりしている時だった。
「昨日のテレビ面白かったね。」と友達が言った時、
「ねぇ、お弁当一緒に食べてくれない?」
私の後ろから声が聞こえた。
誰かと思ってふり返ると、この前いじめられていた子だったのだ。
友達は嫌そうな顔をしてその子から目を逸らした。
私もそうしようと思ったが、
「いいかな、お弁当・・・・」
と、また声を掛けられた。だからつい、
「やだよ、違う所で食べればいいのに。一人が好きだから一人なんでしょう?」
と言ってしまった。
その時は悪い事を言ってしまったという自覚は全く無かったので、その子が泣き出したのはとてもビックリした。
何で?いじめられた時は表情一つ変えなかったのに・・・。
私には疑問しか浮かばなかった。
その時、彼女は泣きながら小さく言った。
~~ ~ ここまで前編 ~~~
小学高学年の女子では良くある光景なのではないでしょうか、
まだ相手の気持ちを考える事が出来ない、想像できない、
いじめられてる子がいてもかばうと逆に自分もいじめの標的にされるから見て見ないふりしようなどと普通に防衛反応として行動してしまうのではないでしょうか。
良くない事を目撃し、良くないよと強い者に立ち向かえる勇気。
自分が標的になっても弱者を守る勇気。
あなたなら小学生でできましたか?
色んな事が想像できる内容ですね。
明日は後編へ続きます。