「あなたがそこにいてくれる」は大きな糧となる☆彡
中一の息子が小学生の6年間、地区の子供たちと朝は集団で登校しました。
集合場所まで徒歩では離れていたので私が毎朝、集合場所まで車で送っていきました。
よその大人達が誰も見送りにこない登校班は、登校中バラバラになったり、おしゃべりをしたり、まとまりのない班がほとんどのように見受けられました。
ですが、私達大人二人に見送られながら足早に学校へと歩くこの登校班は、まじめに歩くまとまりのある班でした。
ここにも大人達の愛で見送られた子供たちと、
そうでない子供たちの差が出ているように感じられました。
家で親に「行ってらっしゃい」と言われて集合場所まで来ているとは思いますが、集合場所に来ればいつも誰々君のお母さんがいて、
また「行ってらしゃい」「傘は忘れたの?」など色んな声掛けをしてもらい、
「よし!行こう!」と背中を押されて頑張れる気がするのではないでしょうか?
そして、その集合場所に6年間一緒に送りに来たママさんがいまして、その彼女は私よりもかなり年下ですが、美人で自分の意見をきちんと持ち、教養もあり、人の心に寄り添える優しい心の方でした。
そして、いつもニュートラルな感じで明るく爽やか、才色兼備の素敵な女性です(^-^)
本日、3.11はそんなエンジェルのような彼女がこの世に舞い降りた日、誕生日でした🎂🎉👏Happy brithday!
私は毎朝、その女性に会える事が楽しみでした🎵
週末あった話を聞いてもらったり、子育ての悩みはもちろん、プライベートな話も色々聞いてもらい助言もしてもらいました。
「あそこに行けば彼女がいる」そんな風に朝から明るい気持ちになって頑張れる糧になっていたものです(*'▽')
頑張れる糧で申しますと“我が子”もそうですね。
親としては自分の子供がそこにいてくれるだけで頑張れるものです(^-^)
見返りの無い「無償の愛」とはまさに我が子。
そして読んでくださっているあなた自身も生きてるだけで価値がある事に気がついていますか?
生産性があるなしの問題ではなく、ただ、そこに生きているだけで誰でも価値があります。
自分が好きな人、癒しになる人、ためになる人だけでなく、
極端な話、
自分がとても苦手な人でも、その人の事が何故苦手なんだろう、何が好きではないんだろう、と考えさせられる。
(あの人のこの行動は私は好きじゃないから決して真似はするまい)など、
自分がとても苦手な人だって価値があるんです。
毎朝寄るコンビニでも、あの可愛い店員さんが笑顔で「いらっしゃいませ」と言ってくれるとなんだか嬉しいから今日も寄ってしまった、という男性なんかも多いと思います。
自分の知らない所での誰かの役にたっている事だってあるんです。
そこにいるだけで価値がある。
自分は何もしていないと思っていても、あなたの存在自体が価値のあるもの。
とぱーず
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