自分の好きを深く追求すると分かる“自分が求めている姿”
趣味の山歩きのコミュニティサイトの“ヤマレコ”で山の記録を公開していて、
以前、お花の写真を多く掲載していたら、
「お花が好きなんですね」と言われて(あっ、自分はお花が好きなんだ)と気がつきました。
今では、(あの山のあのお花が見たい)と
ピンポイントで花達を見るために出かけたいと思っているほど山の花が好きです。
そして春にはたくさんのお花達が山に咲いてくれて、
スミレは種類が物凄く多く、名前の勉強もしています。
しかし私は、
花が好きなんだと自覚したにも関わらず、
会社のプランターに咲いている花の名前は
(この花何ていうんだろう?)と思いもしなかった自分に気がつきました。
山の花は写真を撮っては調べるほど名前を知りたくなって、
プランターの花の名前はそんなに知りたいと思わない。
あれ?
私は花が好きなんじゃなかったけ?
どうしてだろう?
と考えました。
自生して、自ら誰にも見られることなく、綺麗に咲いている花を見ると、
(咲いていてくれてありがとう)と美しさに癒された事に感謝します。
でもプランターで水や肥料など、人の手がかかったお花は可愛いなとは思いますが、
感動まではいきません。
東西およそ20キロメートル、南北およそ10キロメートルにわたって
標高2,000メートル級の火山が連なる山脈で
いくつもの峰が連なり
色んな生物が生態している自然豊かな山脈です。
ある日山形側から入山し、
兵子(ひょっこ)と呼ばれる山頂まで登山した時に、
山頂付近に差し掛かると樹林帯の中に
見事なピンク色のシャクナゲの花がたくさん咲いていました。
その登山コースは登山者もいなく、
その時期にしか咲かないシャクナゲがほとんど誰も目にも止まらないのに、
こんなに堂々と美しく咲いている様子が
私だけの秘密の花園のように感じましたし、
ひっそりと誰かに評価されるためでもない、
ただ、自分の力で綺麗に咲いている姿に感動しました。
プランターのお花達は人の手によって手にかかって綺麗に咲く。
そのお花達を見て喜ぶのは自分が手に掛けた成果に喜びを感じるのではないかと思います。
自生のお花達は、自らの力のみで美しく咲いている。
自生の美しさは実力です。
そんな姿に出会えて癒されるから(ありがとう綺麗だね)と思える。
私がお花が好きなのではなく、
自生で咲いてるお花達の実力に心が惹かれているんだと気づきました。
吾妻のシャクナゲの様に凛と美しく咲けるような人間になりたいな♪